平成28年3月1日(火)、いわき明星大学の児玉記念講堂において、福島県立双葉高等学校第68回卒業証書授与式が挙行され
、男子10名、女子5名、計15名が卒業しました。
開式の言葉、国歌斉唱に続き、卒業生ひとりひとりに小島校長より卒業証書が授与されました。

校長式辞

校長式辞より、一部紹介します。
・卒業生の皆さんは、平成25年4月、双葉高等学校に入学し、いわき明星大学サテライト校舎に通学することとなりました。・・・しかしながら、入学から8ヶ月後の平成25年12月、サテライト校を取り巻く教育環境が激変することとなります。当時の佐藤雄平知事が、双葉郡広野町に中高一貫校を新設し、サテライト校を設置している双葉郡の4校1分校は、新設校の開校と同時に生徒の募集を停止し、平成29年4月から休校する、との方針を発表したのであります。これにともない、皆さんにとっては、後輩は次の4月に入学してくるであろう1学年下の者たちだけで、3年生になったときには、1年生が入学してこないとか、自分たちが卒業した1年後には、母校となる双葉高校が休校になってしまうとか、様々な不安に胸を痛めたり、やり場のない怒りにも似た感情が渦巻いていたりしたのではないでしょうか。多くの保護者、同窓生、教職員も同様の思いであったろうと拝察いたします。
・双葉高等学校の現状を表現するにふさわしい俳句を一句、御紹介申し上げます。
「春風や 闘志いだきて 丘に立つ」
この句は、明治・大正期に活躍した俳人、高浜虚子の代表作としてよく知られた一句であります。高浜虚子は、愛媛県松山市に生まれ、旧制松山中学校時代からの友人であった河東碧梧桐とともに、同じ松山出身の俳人、正岡子規の門弟となり、その才能を開花させました。しかし、明治35年に正岡子規が亡くなると、いったん俳句の世界から離れ小説の執筆活動に没頭します。ところが、河東碧梧桐が季語や五七五の定型にこだわらない新しい傾向の俳句を次々と発表することで、自由律俳句につながる方向性を示し、盛り上がりを見せると、高浜虚子は、季語を重んじ、五七五調の格式と写実性を追求する伝統的な作風にこだわり、まさに闘志を持って新たな潮流に対抗せんとして俳句の世界に復帰し、大正2年に、この俳句を詠んだのであります。
「春風や 闘志いだきて 丘に立つ」
冷たい春の風が吹きつけてくるなか、これから困難な目標に立ち向かって、挑戦していこうとする闘志を持って、すっくと丘に立つ人物の姿を想像するとき、その姿は、まさに双葉高校そのものであり、双高生の姿であります。双葉郡の教育界に新風を吹き込み、脚光を浴びる新設高校に対して、我が双葉高校は、旧制中学以来の歴史と伝統に裏打ちされた確固たる信念を持って、決然としてその存在を知らしめる必要ありとして、春の風を受けながらも、眼差しを遠くに向けて凛とした姿で丘に立ち続けようではありませんか。
休校までの1年、今日卒業していく生徒諸君の3年間の思いを胸に刻み、生徒、教職員ともに、堂々と歩んで参ります。
続いて、福島県議会議員吉田栄光様、双葉町長伊澤史朗様、同窓会長中井芳秋様、PTA会長志賀容子様より祝辞をいただきました。
在校生送ることば 代表 菊池歩実

「私たち2年生は、双葉高校休校前の最後の学年、生徒です。先輩も後輩もいなく、人数が少ない上、できることも限られてしまいますが、私たちは全力でやっていき、休校となるまで本校をより一層盛り上げていきたいと思います。そして、先輩方が先代、先々代の卒業生の方々から引き継いできたものを、私たちも引き継ぎ糧とし、これからの双葉高校の在り方の標にしていきたいと思います。」
卒業生別れのことば 代表 高田駿佑

「私は今、心から思います。私にとっての母校がこの双葉高校で幸せであることを。かけがえのない仲間と出会えたことに感謝し、楽しいときも辛いときも共に生活できたことを心から誇りに思います。
3年間、私たち卒業生15名、本当にお世話になりました。さようなら、双高。」
校歌斉唱

卒業式に続き、同窓会入会式が行われ、卒業生15名が同窓会に入会しました。
また、その後、保護者からの提案によるサプライズ企画で、お笑い芸人のヒロシさんのステージがありました。
多方面より、たくさん祝電もいただきました。ありがとうございました。


最後のホームルームでは、担任の萩原先生が作ったムービーで、みんなで3年間の思い出を振り返りました。


生徒たちから担任に花束のプレゼントも

なお、当日の様子を取材いただいた様子を福島テレビさんがYouTubeで公開していますので、ぜひ御覧ください。
https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=dT8IPF8kUI8卒業生の皆さんの今後の活躍を祈っています。卒業おめでとう!
